日本橋高島屋にまつわる面白いモノやコトを発見するWEBマガジン「デパートロジー」
2023年の1・3・5月号は、開店90年を記念したスペシャルバージョンでおとどけします!
更新日:2023/1/2
今から90年前となる、1933年(昭和8年)3月20日に開店した日本橋高島屋。8階建て、全館冷暖房装備の百貨店の誕生は大きな話題となりました。そこで今回のデパートロジーは1933年にタイムスリップ!当時の資料をひもといてみると、高島屋の社員にもあまり知られていないユニークなエピソードが続々と。開店90年記念の特別企画としてご紹介します。
こちらは、開店から2日後に掲出された日本橋高島屋の新聞広告。店内の見どころが漫画でユーモラスに表現されています。描いたのは、かの偉大な芸術家、岡本太郎氏のお父さんである岡本一平氏。当時、売れっ子の漫画家として人気を博しており、お弟子さんたちと共にこの広告を制作したと思われます。描かれた内容をよく見ると、8階でファッションショーを開催していたり、2階では西洋の甲冑を売っていたり。現在とはすこし趣が異なる店内の様子をピックアップしてご紹介します。
▲1933年3月22日「東京朝日新聞」より
漫画の横には「全日本デパート界はじめてのおでん屋。熱カンのお銚子をつぐと・・・」という記述があり、この場所では、おでんと日本酒を楽しむことができたもよう。現在[寿司岩]や[人形町今半]などがあるイートインスペースのような場所と思われます。
漫画の中には「御婚禮調度承所」と書かれた看板が。現在8階にある「ブライダルサロン」のように、婚礼衣裳や引き出物などを取り扱う売場だったと思われます。
漫画の奥に描かれているエレベーター。こちらは現在もほとんど変わらぬ姿で、元気に動いています。開店時に導入された米国オーチス社製で、現役のエレベーターとしては最も古く希少なタイプのひとつです。
漫画の奥に描かれているエレベーター。こちらは現在もほとんど変わらぬ姿で、元気に動いています。開店時に導入された米国オーチス社製で、現役のエレベーターとしては最も古く希少なタイプのひとつです。
漫画の奥に描かれているエレベーター。こちらは現在もほとんど変わらぬ姿で、元気に動いています。開店時に導入された米国オーチス社製で、現役のエレベーターとしては最も古く希少なタイプのひとつです。
昔と今を比べてみると、大きく変わっていたり、ほぼ当時のままだったり。開店90年を迎える日本橋高島屋には新旧さまざまな魅力がたっぷり。お散歩気分で店内巡りを楽しんでみませんか。
日本橋高島屋の竣工は1933年。日本橋三越本館は1914年(大正3年)、三井本館は1929年(昭和4年)、松屋銀座本館が1925年(大正14年)、銀座和光の時計塔は1932年(昭和7年)の竣工で、日本橋や銀座の近代名建築の多くがこのころに誕生。明治時代以降に西洋様式の建築が増えたことに加え、1923年(大正12年)の関東大震災からの復興の影響もあったようです。1934年(昭和9年)の「東京觀光圖」を見ると、今も残る名建築が既に存在していたことがわかります。
▲東京市発行の「東京觀光圖」の日本橋周辺を拡大したもの(画像提供:国際日本文化研究センター)
1933年の地下鉄初乗り運賃は5銭で、現在の160円の3200分の1。高島屋の初任給は、高女卒女性が日給95銭、大卒男性が月給55円でした。当時の女性誌の記事(※)によると、1階で販売されていた東京製ハンドバッグは32円、ワイシャツ3〜4円、ネクタイは2円40銭〜2円80銭。食堂の「高島屋弁当」は50銭で、15銭程度の街のカレー店に比べ特別感があったようです。店内には、均一店の先駆けとして人気だった10銭20銭ストアの売場もありました。
※太田菊子「上京客を連れて新築の高島屋を観るの記」『婦女界』47(昭和8年5月)より
▲石鹸や服飾雑貨を販売していた1階中央ホール(画像提供:高島屋史料館)
開店を前に予告広告を連日、新聞に掲載。開店への力の入れようがわかります。「高島屋の感謝の歌」はそのひとつで、京都出身で、妻の晶子とともに世に知られていた歌人・与謝野 寛(鉄幹)に「歌」を創作してもらった斬新なもの。最終章の五番には『感謝』の文言が重ねられ、東京で大店舗を開店できることへの感謝の思いが伝わってきます。
▲開店予告新聞広告、1933年3月17日「東京朝日新聞」より
明治期から高島屋の商品開発に大きな役割を果たした美術作家たち。ご紹介の開店告知ポスターは、洋画家・岡田三郎助に依頼した作品をもとに、デザインしたものです。当時、高島屋で個展・グループ展を開いていた岡田は、後に第1回文化勲章を受章。まさに「美術の高島屋」面目躍如の〝華〟あるビジュアルです。
▲日本橋店開店ポスター、1933年
原画:岡田三郎助(画像提供:高島屋史料館)
開店の目玉イベントのひとつとして、京都から祇園祭の月鉾が屋上に運ばれてきました。これは今ではなかなか実現できない企画!月鉾町から招いた囃子方による祇園囃子が〝コンチキチン〟と開店を祝福。京都呉服の老舗・高島屋を東京中の人々に印象づけるものとなりました。
▲開店記念京都祇園祭展覧会ポスター
(画像提供:高島屋史料館)
▲屋上に設置された月鉾。多くの観覧者で賑わっているのがわかる。(画像提供:高島屋史料館)
月鉾がやってきた3月に続いて、桜の咲く4月には、屋上に桜の生木を植えてお花見を開催。どのような方法で桜の木を屋上まで運んだのかは記録がありませんが、お客様には東京の街を眺めながら満開の桜を楽しんでいただきました。
▲屋上でのお花見の様子(画像提供:高島屋史料館)
▲1933年4月14日「東京朝日新聞」より
高島屋のシンボルとしておなじみの「バラの包装紙」。しかし開店当時の記録を見るとバラの面影はどこにもなく、縁起のよいモチーフをちりばめた「宝づくし」の絵柄が使われていたようです。現在とはかなりイメージが異なりますね。包装紙にバラが咲き始めたのは戦後から。バラの包装紙の歴史は“1輪のバラ”からスタートしました。
▲宝づくし模様の包装紙。こちらは福引の景品を包むのに用いられたと思われます。(画像提供:高島屋史料館)
▲1色刷りの「バラの包装紙」。1952年(昭和27年)のもの。(画像提供:高島屋史料館)
大正初期から1994年(平成6年)まで続いた「百選会」。高島屋を有名にした催事で、毎回各地の染織業者へ色と主題を提示して新柄を募集。審査のうえ展示即売しました。〝新生・高島屋〟にふさわしい、気品と格調、デザイン性の高さから、高島屋は〝流行と文化の発信地〟となりました。
▲開店記念催し「百選会」会場(画像提供:高島屋史料館)
▲昭和10年代の「百選会」作品例(画像提供:髙島屋史料館)
先進的な洋装の制服が高島屋で導入されたのも1933年。白いレース襟の紺のワンピースに茶色いパンプスという舶来品に強い百貨店ならではのスタイルで、当時の女性の憧れを集めました。それ以来、そのときどきのトレンドを取り入れながら、制服は多彩に変遷してきました。2月には、開店以降の制服をファッションの歴史と併せて本館1階 正面ホールで展示します。ぜひご注目を!
▲高島屋社内報「高苑」194号より
(画像提供:高島屋史料館)
▲1933年の営業社員の集合写真
開店90年を迎える今年、日本橋髙島屋では年間を通して数々の記念イベントを実施します。ご愛顧への感謝と、積み重ねてきた伝統、そして未来への挑戦を込めた盛りだくさんの内容。開店時の建築を大切に守り継ぐこの空間で、ぜひご体感ください。詳しくは特設サイトへ。
ショッピングだけではなく、サービスまでハイグレードなのが百貨店の魅力。開店時の日本橋高島屋は画期的なサービスも評判でした。例えば、婦人洋装品売場には日本語の堪能な米国人デザイナー、ドロシー・エドガースを専属起用し洋装の相談に対応。当時まだ珍しかったフルーツパーラーも人気に。現在も多彩なサービスをご用意していますが、中でも今回は、90年前も現在も存在するものをご紹介。歴史を感じながら上質なサービスを体験してみませんか。
こちらのサービスいずれかをご利用いただくと、先着で「おすすめスイーツ」をプレゼント!
詳しくはCONTENTS.3にある「sweets♥eats」をご覧ください。
時代は変わっても、甘いものでひと息つく時間は癒やしのひととき。今回は、日本橋高島屋が開店した90年前にもきっと世の中で愛されていたであろう老舗スイーツをご紹介します。基本的な製法は守りつつ、時代の嗜好に合わせて味のバリエーションが拡大。その変遷や長い歴史を感じながら味わえば、おいしさもひとしおです。
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1月2日(月・休)→1月31日(火)の期間中、「DEPARTOLOGY(デパートロジー)」のWEBページをご提示のうえ、CONTENTS.2でご紹介した商品またはサービス(同じブランドなら掲載商品以外と合算可)を税込5,000円以上お買上げのお客様、先着100名様に『sweets♥eats』でご紹介したスイーツ(1点)と引き換えができるチケットをさしあげます。
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