寒い季節には、いつもより雪や氷を身近に感じることができます。霜ばしらの上を歩いた時のサクサクと楽しい感触、スケート場のひんやりとした空気と氷を削る音、スキーのゴーグル越しに見るまばゆい白さの雪原や、庭でつくった雪だるまやかまくらの温もり……。ときおり雪の降る東京で、手のひらに舞い降りる雪を見つめれば、その結晶の繊細な美しさに気が付きます。人間の原始的な感覚や感情と深く結びついているかのように、雪や氷が生み出す情景は、私たちを強く惹きつけるものがあります。
今回は、「雪と氷の世界」を起点に、「観察と探究」、「冒険と自然」、「物語と日常」という3つのテーマを設けました。雪と氷の魅力を科学的に掘り下げる絵本やアートブック、極限の世界に魅せられた人々の旅路、雪と氷にまつわる物語など、子どもから大人まで楽しめるような本を取り揃えています。
季節を感じながら、雪と氷が見せてくれるさまざまな表情に目を向け、その不思議さと美しさにあふれる世界をどうぞお楽しみください。
展示場所:本館1F GRAND PATIO
展示期間:2024年12月1日〜2025年3月31日
雪や氷は、都心だと交通麻痺が起こったり転んで怪我をする人がいたり、現代社会ではちょっと迷惑なものとして見なされがちかもしれません。でも、雪や氷そのものを見ていくと、捉え方は多種多様なことに気づきます。私自身は、愛知出身ですが幼い頃からスキーをやっていたので、雪や氷は特別なものというより、ずっと見ていても飽きない、気持ちのいいものだと感じていました。いまは二拠点生活をしていて、片方の活動の場としている京都では、山のほうに住んでいます。ここでも雪が結構積もるので、やはり私にとって雪や氷は日常に近い存在となっています。今回は「観察と探求」「冒険と自然」「物語と日々」というテーマを設け、私たちがなぜか惹かれてしまう、不思議さと美しさにあふれた雪と氷のさまざまな表情をご紹介できたらと思っています。
まずは、「雪と氷の世界」を語るには欠かせない一冊を。私がすごく好きな中谷宇吉郎さんの『雪』です。中谷さんは「雪は天からの手紙」という言葉で知られる物理学者で、雪の研究を通じて多面的に科学を追求していた人。中谷さんの手で作られた日本初の天然雪の研究についてから始まるこの本は、「空から降ってくる雪とは一体なんなのか?」を起点に解像度が高まっていく様が描かれています。科学的な視点だけでなく、彼の哲学やポエジーも散りばめられていて、雪に魅了されていたことがとても伝わってくる一冊です。
『A FIELD GUIDE TO SNOW AND ICE』は、アメリカの写真家パウラ・マッカートニーが、雪が降り積もる様子やつらら、流氷などを、独特の捉え方で撮影した写真集です。すごく寄ったりすごく引いたり、自由自在に行き来する視点で撮影しているのが印象的。心惹かれる対象をさまざまな角度から撮り続ける姿は、まさに「探求」という感じがします。この本は装丁も特徴的。ページがすべてつながっていて、広げると10mにもなるんです。雪や氷は溶けて水になり、再び固まって氷になることもあれば、水蒸気となって空気中に還り、また雪として降り積もることもある。そんな円環が、装丁を含めた本全体で表現されています。
パウラ・マッカートニーはミクロとマクロを行き来していますが、ミクロに寄って雪の結晶そのものの造形美を教えてくれる本もいくつか用意しました。吉田六郎さんが撮影した『きらきら』の写真は、フラットな背景に雪の結晶の輪郭が際立っていて、なんとなく宝石のような撮り方だなと感じます。一方で、『ゆきのけっしょう』の武田康雄さんの写真はもう少し立体的。結晶が作られる背景まで表現するような奥行きを感じます。
おもしろいのは、どちらの本も「雪の結晶ってきれいだね」というところで終わっていないこと。『きらきら』では谷川俊太郎さんが雪の結晶に対して感じた詩的な表現や言葉遊びが楽しめますし、武田さんは小杉みのりさんとともに気象学者として雪の結晶の興味深さをしっかりと伝えています。同じテーマでも、写真家や語り手によって捉え方がまったく違うことに気づけます。
日本を代表する登山家・冒険家である植村直己さんの『北極圏1万2000キロ』は「冒険と自然」を象徴する一冊です。植村さんが3,000kmにおよぶ犬ぞりのトレーニングをしたあとに、グリーンランドからアラスカまで1万2,000kmの旅をするという大冒険譚。前人未踏に挑戦する人間としての根源的な情動や衝動が丁寧に描かれています。途中、犬たちが亡くなったり、そりが海に落ちたり、もうダメなんじゃないかという極限も経験するのですが、植村さんはいい意味で楽観的な方なのか、前に進み続けるんですよね。また、結婚直後にこの一人旅に出られたそうで、家族や犬といった、冒険における他者との関係性も知ることができます。
沢木耕太郎さんの『凍』も極限での旅が描かれています。これは、世界的なクライマーである山野井泰史・妙子夫妻がヒマラヤの難峰ギャチュンカンに挑むノンフィクション。タイトルは『凍』ですが、熱い人間の話です。いろいろなものを失ってもなお山に登り続け、そこに後悔はないという二人の姿が、沢木さんならではの筆致で熱量高くスリリングに描かれています。山野井夫妻にとって、何かに挑むという姿勢そのものが生きることなんでしょう。極限状態の旅はきっと孤独や内省と直結するものです。でも、植村さんの冒険にも山野井夫妻の冒険にも、自然、犬、妻や夫など、鏡のようにリフレクトする存在がある。雪と氷の世界を探検することで、それらとの関係性がより濃密になるのは間違いありません。
植村さんや山野井さんとはまた違った極限の世界で、朗らかに生活する様子が垣間見えるのが『南極の食卓』。南極地域観測隊の調理隊員として過ごしていた渡貫淳子さんのエッセイです。1年分の食糧を一気に南極へ運び、その管理と調理の責任を一手に担いながら、どうやって過不足なく三十数人の胃袋を満たしていったのかがユニークに描かれています。汚水をどう処理するのか、鍋の残り汁をどう活用するのか、後半になって食糧が減ってきたらどう切り抜けるのか……南極ならではの食卓事情に対する渡貫さんの工夫が光ります。隊員からのリクエストで二郎系ラーメンを作るエピソードなんかもあって、渡貫さんは日本で事前に二郎を食べに行って研究したそうです。2日前からチャーシューを仕込んで、基地の中でもやしを8kg育て、「ラーメン二郎オングル店」というのぼりまで作ったそう。南極というタフで閉ざされた空間だからこそ、こうしたアミューズメントの感覚がすごく大事にされていた、ということが知れてとてもおもしろいです。
『TRAILS』は、日本を代表する写真家の一人であるホンマタカシさんが、北海道の雪山を巡って撮影した写真集です。ただの雪山ではなく、そこには血の痕がある。地元の猟師に銃で仕留められた鹿の、血の痕跡をトレイルするというコンセプトで撮影されています。被写体は基本的に雪と血だけ。真っ白な雪の上に突如として現れる血の色が鮮烈でおどろおどろしくもありますが、なぜか目で追ってしまうんですよね。途中にオイルペイントの作品ページが挟まれていたり、表紙は銃弾のような穴が空いていたりと、本のつくりにも惹かれます。雪や氷の写真表現って、美しさや不思議さを追い求めることが多いのに対し、『TRAILS』には自然の厳しさが映し出されています。ホンマさんはその厳しさのなかに魅力を見出していらっしゃるのだと思いますし、それを造本でも表現しているところが非常に素敵です。
ここからは一転、酒井駒子節が炸裂したかわいらしい一冊を紹介しましょう。『ゆきがやんだら』は、雪が降り積ったある街に住むうさぎの子の1日が描かれています。保育園がお休みになり、お母さんも買い物へ行くのをやめてずっと家にいる。遠くで働くお父さんは飛行機が飛ばずに帰って来られない。ただただ外は寒くて静かで、誰も通らなくて……雪が降ったときの嬉しさよりも、しんと静まる世界の寂しさや自分たちしか存在しないような孤独感が描かれています。これまでに紹介してきた研究者や冒険家たちも、そうした孤独を感じていたのではないでしょうか。そして、そこからしか生まれない不思議な求心力が、雪にはあるんじゃないかなと思います。
『ファイアパンチ』は藤本タツキさんが『チェンソーマン』以前に描いた作品。舞台は氷の魔女に征服された凍てつく世界です。そのなかで「祝福者」と呼ばれる特殊能力を持った人たちが生まれてくるのですが、『ファイアパンチ』というタイトルどおり炎を司る能力を偶然にも受けたのが、物語の主人公。氷の世界で彼がどのように炎の力を発揮していくのか、祝福者たちがその世界で何に希望を見出していくのかが描かれています。
『ナルニア国物語』の最初のお話である『ライオンと魔女』もそうですが、雪と氷の世界に出てくるのはいつも女王や魔女ですね。これもナルニア国が魔女によって雪と氷の世界にされてしまう、というところから始まります。どちらもアンデルセンの『雪の女王』がベースにあるのでしょう。そういう意味では『ファイアパンチ』と『ライオンと魔女』は意外にも相関関係がある作品だと言えますね。
どうしても紹介したかったのが、スイス出身のペーター・フィッシュリとダヴィッド・ヴァイスというアーティストの作品集『Snowman』。発電所で開催されるアートイベントに招かれた彼らは、現地で発電したエネルギーを使って氷を作り、さらにその氷を使って雪だるまを作るというプロジェクトを実施しました。アウトプットとしてはただの雪だるまなのですが、どういうエネルギーを使って、どういうプロセスでできたのか、さらには雪だるまが人間にとってどんな存在なのかということを文化人類学的に記していて、このコンセプト自体が作品になっています。雪だるまを作るのに模型まで組むほど本気な姿勢と、一連のストーリー性がとてもおもしろい一冊です。
冒頭でも触れたように、雪や氷というと「ちょっと迷惑だな」という一義的な捉え方になってしまう大人は少なくないと思います。でも、取り憑かれたように探求している人もいれば、そこに挑み続ける人もいるし、多種多様な物語を読み取る人もいる。今回選んだ本たちによって、雪や氷への多様な向き合い方を楽しんでいただけたらと思います。少しでも嬉しくなったり、寒いのも悪くないなと思ったりできると、豊かですよね。
書籍は、本館1Fグランパティオにて
実際に手に取ってご覧いただけます
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このテーマでは、観察と探究という切り口で、自然科学的な視点から雪や氷を捉えた本を集めました。日本における雪氷学の第一人者である中谷宇吉郎は、かの有名な「雪は天からの手紙である」という言葉を残しました。中谷の研究と哲学がつまった『雪』をはじめとして、その足跡を追った図録、雪の結晶の図鑑や写真絵本、ダイナミックな氷河の写真集など、雪と氷がもたらす様々な事象を様々な角度から取り上げます。身近な雪と氷の科学的な美しさを幅広く堪能してください。
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雪と氷の世界に深く身を浸し、北極や南極、アラスカや雪山の奥地へ果敢に旅をする人々。鋭く生の感性を尖らせ、危険と隣り合わせの冒険は、誰にでも真似できるものではありません。また、厳しい自然の中で暮らす力強い人々がいます。受け継いだ技術や知恵を駆使し、過酷な環境での生活を可能にしています。ここでは、記録を通じて彼らの冒険や自然の驚異を疑似体験し、あなたにとって忘れられない一冊に出会えるかもしれません。
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雪と氷が創り出す詩的な情景は、多くの物語を育んできました。特にアンデルセンの『雪の女王』は、様々な作品に影響を与えてきました。今回選んだ『ナルニア国ものがたり』や『ファイアパンチ』は、その世界観がベースになっていると考えられます。絵本作家が描く雪景色は、子どもたちが雪に対して抱く無邪気な喜びや、家の中で感じる孤独感を巧みに表現しています。また、このテーマでは、雪とともに暮らす人々の生活をも取り上げています。雪と氷の持つイメージの豊かさをぜひ味わってください。
有限会社BACH(バッハ)代表取締役。ブックディレクター
人と本の距離を縮めるため、公共図書館や病院、動物園、学校など様々な場所でライブラリーを制作。時間の奪いあいが激しい中で本を手に取りたくなる環境とモチベーションをつくることを心掛けている。安藤忠雄氏の建築による『こども本の森中之島』ではクリエイティブ・ディレクションを担当。最近の仕事として「ミライエ長岡 互尊文庫」や「早稲田大学 国際文学館(村上春樹ライブラリー)」での選書・配架、ロンドン・サンパウロ・ロサンゼルスのJAPAN HOUSEなど。近年は本をリソースにした企画・編集の仕事も多く手掛ける。京都「鈍考/喫茶 芳」主宰。
Instagram: @yoshitaka_haba