高島屋史料館と
= コレクションについて =

2020(令和2)年、高島屋史料館は開館50周年を迎えました。創業以来の資料を収集・保存し、広く公開・活用していくことを目的に、1970(昭和45)年、高島屋東別館3階に開館しました。現在は、企業の歴史をひも解き、その精神や文化を受け継いで、高島屋の持つ基本的価値観や文化を社内外に発信し、共有・共感していただくタカシマヤアーカイヴス活動の拠点でもあります。収蔵する資料は約5万点。美術品、百貨店資料、創業家文書など、多種多彩なジャンルにわたります。
開館50周年にあたり、皆様と高島屋とのコミュニケーションスペースとして、新しく生まれ変わりました。

《高島屋史料館》平櫛田中 1970(昭和45)年

- コレクション -

美術品

《アレ夕立に》
竹内栖鳳
1909(昭和42)年
絹本着彩
竹内栖鳳は、明治20年代はじめより、高島屋の画室に勤務し、染織品の下絵を描いていました。本作は、1909(明治42)年、第3回文展への出品作。また、同年高島屋初の展覧会「現代名家百幅画会」に特別陳列、翌年の日英博覧会の高島屋館にも出品され好評を博しました。栖鳳は本作について「舞妓が舞う瞬間の美」を描いたと語っています。制作にあたり高島屋が着物や帯を提供しましたが、どの帯も栖鳳の考えにあわず、自ら水墨柄の帯を創作して描きました。

《夏バラ》
ラグーザ・玉
1935(昭和10)年頃
カンヴァス・油彩
東京生まれ。1877(明治10)年、工部美術学校にイタリアから招かれていたヴィンチェンツォ・ラグーザから洋画を学びました。帰国するラグーザとともに渡伊。ラグーザがパレルモに設立した美術工芸学校の女子部で絵画指導を行いました。パレルモの美術展、万国博覧会などで受賞。1933(昭和8)年に帰国し、東京・芝にアトリエを構えました。高島屋では同14年に「ラグーザ玉夫人遺作油絵展」が大阪南海店・東京日本橋店で開催されました。

《鳥鉢》
河井寬次郎
1952(昭和27)年
陶器
島根県生まれ。1914(大正3)年、東京高等工業学校窯業科卒業。同9年に五条坂に窯を構え、作陶活動をする傍ら柳宗悦らとともに民藝運動を推進していきました。また寬次郎を見出し、初個展(同10年)を高島屋で開催したことがゆかりとなり、終生、高島屋を主要作品の発表の場としました。本作は、1952(昭和27)年に東京日本橋店で開催された「富本憲吉・河井寬次郎・濱田庄司三人」展への出品作。筒描釉彩の技法で鳥がのびやかに表わされています。

《有徳福来尊像》
平櫛田中
1975(昭和50)年
木彫彩色
岡山県生まれ。人形師・中谷省古のもとで彫刻修行をしたのち、1897(明治30)年に高村光雲の門下生となりました。大正期にはモデルを使用した塑像の研究に励み、昭和初期以降は彩色を使用し表現の可能性を求めました。本作は、高島屋のために5年の歳月をかけて制作されたものです。楠の一木造りで、彩色は日本画家・奥田元宋によるものです。

《なおす・代用・合体・連置(震災後亘理町荒波で収拾したカップの復元―回向するかたち)2015》
青野文昭
2015(平成27)年
ミクストメディア
宮城県生まれの現代美術家。1992(平成4)年、宮城教育大学大学院美術教育科修了。同11年に宮城県芸術選奨・新人賞、同28年に第26回タカシマヤ文化基金タカシマヤ美術賞を受賞。「修復」という概念を取り入れ、捨てられたものを収拾して、その欠損部分を修復することで作品を制作しています。本作は、東日本大震災後、収拾した被災物のコップを復元しようとした作品。欠片を補完し伸ばすための代用素材として、自宅にあった書籍を積み上げて用いています。

下絵と染織品

下絵《南瓜・豆に鶏図》
今尾景年
明治中期 
紙本着彩 二曲一隻
高島屋は明治期に貿易事業を始めました。海外向け製品として刺繍額やビロード友禅壁掛などを製作するため、その下絵を京都の画家に依頼しました。日本画家・今尾景年もその一人。高島屋史料館では、本作を下絵に製作された友禅《畑に遊ぶ鶏図》を所蔵しています。下絵と製品がそろい両者を比較することができます。

友禅《畑に遊ぶ鶏図》
村上嘉兵衛
明治中期 
絹・友禅 双幅
明治期に貿易事業を始めた高島屋では、輸出する染織品の下絵を京都の画家に依頼しました。本作は、日本画家・今尾景年の下絵をもとに友禅師・村上嘉兵衛が製作したものです。高島屋史料館では、本作の下絵《南瓜・豆に鶏図》を所蔵しています。下絵と製品がそろい両者を比較することができます。

呉服

訪問着《雪輪重ね》
千總
1953(昭和28)年 
復興第1回上品會
上品會は、日本の文化が培ってきた「織・染・繡・絞・絣」の染織五芸の向上を目指し、絹の芸術を極める名匠・名家(同人)の上作をご覧いただく会。1936(昭和11)年の創設以来、「翻古為新」の精神のもと、創り出された作品を厳しい審査を経て発表しています。本作は、戦後の復興第1回 上品會に出品された訪問着です。制作した同人・千總は1555(弘治元)年に京都・三条烏丸で創業し、460余年の歴史を誇る京友禅の老舗です。

能装束

《紺地流水海松貝模様縫箔》
江戸時代
紺の練緯地に金箔で流水を表わし、腰から下には蘆と海松貝を、肩から袖付けの下辺りまでには、水草と海松貝を刺繡で表わしています。水草や蘆は濃淡の萌黄・金色・紫・白のみで繡い表わされていますが、蘆の葉は色変わりに繡われており、刺繡の繊細な美しさを見ることができます。畳紙に「毛利家伝来」とあり、「花色地大貝盡シ 第二十二番 縫箔」と記されています。

装飾

《飾り棚》
シャルロット・ペリアン 
1953(昭和28)年 
アルミニウム板金、ヒノキ
1955(昭和30)年、東京店で「巴里1955年 芸術の綜合への提案 ル・コルビュジェ、レジェ、ペリアン三人展」を開催しました。本作は、同展でシャルロット・ペリアンが提案した部屋の間仕切りにもなる飾り棚。両面から使用可能、また分解して運搬可能な組み立て式とするなど、時代を先取る仕様になっています。アルミ板金はフランス製、棚板制作と組立ては三好木工が行いました。

広告宣伝

高島屋呉服店ポスター(矢の根五郎)
1919(大正8)年 
紙・印刷
大阪心斎橋店で開催された「俳優好衣裳陳列会」で掲げられたポスターで、日本画家・北野恒富が原画を手がけました。矢の根五郎は、歌舞伎「矢の根」の主人公曽我五郎。「矢の根」は歌舞伎十八番のひとつ、曽我五郎が矢の根を研いだのち、夢に兄十郎の危機を知り、工藤の館に馳せ向かうという荒事の一幕劇。

創業家文書

家屋敷売券写
1833(天保4)年 
紙・墨書
高島屋の創業地、烏丸通高辻下ル西側の店舗兼家屋は当初は借家でした。それを創業者・初代飯田新七が創業2年で買い取った時の証文の写。価格は銀4貫目。間口は2間3尺1寸3分(約4.5m)、奥行は8間4尺5寸(約15.8m)。この小さな店舗が、今日に続く高島屋の出発点となりました。

博覧会資料

パリ万国博覧会賞状・賞牌
1900(明治33)年
1900(明治33)年にフランスで開催されたパリ万国博覧会へ、高島屋はビロード友禅壁掛《波に千鳥》などを出品しました。同作が会期中にフランスの女優サラ・ベルナールに買い上げられて、大きな話題となりました。高島屋は最高の栄誉である名誉大賞を受賞しました。

ローズちゃん

裸ローズちゃん
1988(昭和63)年
百貨店がマスコットキャラクターを持つという、まったく新しい発想で誕生したローズちゃん。1959(昭和34)年のクリスマスセールのマスコット人形「ハッピーちゃん」がそのルーツです。現在もなお、おもてなしのシンボルとして、さまざまなローズちゃんがお客様をお迎えしています。

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