創業者 初代飯田新七は、京都で桶商を営む中野宗兵衛(越前国敦賀郡〈現 福井県敦賀市〉出身)の子に生まれました。幼名は鉄次郎。12歳で京都の呉服商へ奉公し、26歳の時、京都の米穀商「高島屋」飯田儀兵衛の長女 秀の婿養子となりました。
その後、分家独立し、1831(天保2)年正月、京都・烏丸松原で古着木綿を商う店を開業。本家儀兵衛家が近江国高島郡(現 滋賀県高島市)出身で、屋号を「高島屋」としていたことにちなみ、初代新七も同じ「高島屋」を屋号としました。
これが今に続く高島屋のはじまりです。
山元春挙は近代京都画壇を代表する日本画家のひとりです。1872(明治4)年、滋賀県膳所町に生まれ、はじめは野村文挙、のちに森寛斎に師事しました。「明治の応挙」と称された寛斎の高弟であった春挙は、師の影響を受けつつも独自の画風を確立し、明治から昭和にかけて、竹内栖鳳と並び称される画壇の大家となりました。春挙芸術の特徴は、写実的で雄大な風景画にあります。1904(同37)年に渡米し、アメリカの大自然に触れた体験が、春挙の画風を大きく進化させました。とくに山を愛し、画塾「早苗会」では山嶽部を設けて自ら山を歩き、写生に打ち込みました。山を見つめ、山を描いた「画界の英雄」山元春挙。生誕150年を記念して、高島屋史料館所蔵の春挙作品を一堂に展観し、知られざる高島屋との関わりをご紹介いたします。
いまから100年前の1922(大正11)年、高島屋は大阪・堺筋の長堀橋詰に近代ゴシック建築の大型店舗(長堀店)を開店―これが高島屋初の本格的百貨店の誕生でした。
当時の堺筋には、三越、白木屋がすでに大店舗を構えており、さらに翌年には松坂屋が開店。市電も走る堺筋は「百貨店通り」と呼ばれ、大阪随一のメインストリ―トとして繁栄しました。この時期、大阪は人口・面積で日本最大の都市に、世界でも有数の大都市「大大阪」となりました。華やかで活気にあふれた「大大阪時代」の象徴のひとつが、堺筋に建ち並んだ百貨店建築でした。しかし、昭和初年、御堂筋の建設計画が始まると、高島屋が南海店(現 大阪店)を開店するなど、在阪百貨店の地図は大きく変化することになりました。
近代都市「大大阪」の変貌を百貨店からみつめ直します。
※本展は会期をⅠ部・Ⅱ部に分け、展示資料を一部入れ替えて構成します。
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