玉川高島屋SC

ブックディレクター 幅 允孝さん ブックディレクター 幅 允孝さん

INTERVIEW

ブックディレクター 幅 允孝さんが語る、
選書テーマ『おなかがすいた人は?』について

“「おなかを満たすこと」
って、ほかの誰でもない
自分のための営みだと
思うんです”

おなかがすいたら、おなかを満たす。人間の生き方がどれほど多様化しようと変わらないのがこの「食べる」という営みです。今や私たちが共通項として語れる数少ないテーマのひとつかもしれません。食に関する本はとりわけ愉快なものが多いですが、その反面、どこか本質をついているようにも感じられるのは、「食べること」が私たちの命の源泉であり、健やかな心と体で毎日を生きていくために欠かせないものだからでしょう。お腹がいっぱいになったときの幸せは、この不確かな時代に自分を安定させ、前を向くためのエネルギーとなってくれます。

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空腹に沁み渡る、
おにぎりの美味しさ

お腹を満たす食事の代表といえば、米、パン、麺。いわゆる「主食」ではないでしょうか。しかし最近は、お米の糖質が角砂糖いくつ分に喩えられたり、炭水化物を抜いた食事が話題を集めたりと、主食に対する風当たりは何かと厳しいですよね。

主食の中でも、日本の食文化で中心的な役割を果たしてきたのがお米です。先日、山登りに行ったときのこと。思いのほか急勾配で距離もあって、かなり辛い道のりだったんですが、頂上に着いて食べたおにぎりが本当に美味しくて、お腹に沁み渡ったんです。「空腹は最良のソース」という言葉がありますが、お腹が空いているときこそ、食べることの純粋な喜びが身に沁みてわかります。そういうときはやはり、ヘルシーな食べ物よりおにぎりをほおばりたくなるものではないでしょうか。

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高山なおみさんと長野陽一さんの写真絵本『おにぎりをつくる』では、おにぎりを「いのち玉」と表現していて、まさに空腹時に食べるおにぎりの感動がこの言葉に凝縮されていると感じました。この絵本は、高山さんのリズミカルな文章と長野さんの柔らかな写真でおにぎりの作り方を丁寧に教えてくれる一冊です。くまさんの手のかたちでザクザクとお米をといだり、三本の指を使って塩を伸ばしたり、基本となる手のかたちや動きを楽しく学べます。最終的にできあがるのは、何てことない塩にぎりですが、子供が最初につくる料理はこれでいいんだろうと思います。ちょっと失敗したり、かたちがいびつだったりするのも愛おしいものですよね。

海外の視点で捉える、
寿司職人の技と人柄

同じ「にぎり」でも、洗練された技術が高く評価されるのが寿司の世界です。もともとファストフードだった寿司は、酢飯とネタを一緒ににぎるだけのシンプルな構造でありながら、今や世界中の人々を魅了し、職人が広くその名を馳せるまでになっています。

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『Sushi Shokunin』は、写真家のアンドレア・ファザーリが日本食シーンを牽引する20人の寿司職人を撮影・取材したビジュアルブックです。この本の面白さは、外国人ならではの目線で職人の「人となり」にフォーカスしているところ。バイクが好きとか、サーフィンをやってるとか、そういった人柄が寿司のにぎり方と呼応していることを感じさせます。経験を積んだ職人の重厚な手のしわも印象的。美しいビジュアルとともに、寿司職人の美学が伝わってきます。

どんな色にも染まる、
どんぶりの魅力とは

最近、食に関する本が全体的に増えていますが、特によく見かけるようになったのが食をテーマにしたアンソロジーです。とりわけお米については日本の書き手がうきうきしながら書いていて、美味しさを表現する言葉も豊富ですね。

中でも、古今東西の書き手たちが天丼、カツ丼、海鮮丼……あらゆるどんぶりを語り尽くす『満腹どんぶりアンソロジー お~い、丼』は秀逸です。例えば、どんぶりの由来に思いを巡らせる團伊玖磨のエッセイでは、《丼》の「どん」という響きは、《井戸》にものが落ちる「かん」「ぽん」といった音から来ていて、真っ白なご飯に具材を落とすイメージから「丼」という言葉が生まれたんじゃないか、ということが書かれています。お米は主食であり、日本料理の中心でありながら、実はなんでも受け止めてくれる井戸のような存在でもあるということが読み取れる気がしますね。米と塩だけで主役になれるのに、具材を乗せて丼にすれば何色にでも染まれるわけですから。

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どんぶりといえば、市川ヒロシさんの漫画『どんぶり委員長』もはずせません。普段は険しい顔をして、下校時に買い食いする生徒に腹を立てていたりする生真面目な女委員長が、料理上手の男の子・吉田が作るどんぶりに夢中になるお話。顔が隠れてしまうほど豪快にどんぶりをかきこんだあと、委員長が見せる「ぐうっ」という幸せそうな表情がいい。レンジで作った即席温玉を最後に親子丼にのせるといった、吉田のちょっとしたアレンジも心憎いんです。

暮らしに馴染み、
心を癒やすパンの力

勢いよくかきこんで元気をつけるのがお米であれば、かじっているとじんわり染み込んできて、心を癒してくれるような存在がパンではないでしょうか。僕は何となく、お米は犬、パンは猫というイメージがあります。デズモンド・モリスか誰かが書いていた「犬は喜びを与える動物で、猫は悲しみを吸い取る動物だ」という言葉を想起するからかもしれません。
ちょうど《猫》が題名に入っている群ようこさんの『パンとスープとネコ日和』は、主人公が営む日替わりサンドイッチとスープの食堂に猫のタロがやってくる物語で、大事件が起こるわけでもない、猫との愛おしい日常にパンはしっくりと馴染みます。

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30代、40代を迎え、これからの人生に不安を感じている方に読んでいただきたいのが『パリのキッチンで四角いバゲットを焼きながら』。色々なものを背負って背負って、がんじがらめになった書き手の中島たい子さんが、パリの郊外に住むロズリーヌ叔母さんと出会い、日常の見かたが変化していく様子が綴られています。

自分の感性を優先して、日々を無理なく風通しよく生きるロズリーヌ叔母さん。その暮らしを支えているのがパン作りで、焼きあがった四角いバゲットにはまるで彼女の人柄が滲んでいるようです。本の最後には、パンだけでなく、マロンアイスクリームやルバーブドレッシングなど、ロズリーヌ叔母さんに教えてもらった魅力的なレシピが紹介されています。

歴史からひもとく
世界と日本のパン事情

そもそもパンはどこからスタートしてるの? パンの定義って何? そんな疑問には、原書房の「食」の図書館シリーズ『パンの歴史』がおすすめ。このシリーズはほかにもトマト、カレー、ビール、さらには『脂肪の歴史』まで、何でもあって面白いんですよ。

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『パンの歴史』では、パンの起源を古代メソポタミアまで遡り、6000年にわたる歴史を図版を交えながら振り返ることができます。日本には1543年、種子島に漂着したポルトガル船の船員によって伝えられましたが、主食として本格的に広がったのは第二次世界大戦以降だったようですね。

とはいえ、2011年には1世帯あたりの1年間のパンの購入額が初めて米を上回ったそうです。どっちが良い・悪いというよりは、日本の食卓の風景が変わってきたということなのでしょうね。

焼きそば、うどん、そば、
個性豊かな麺の世界へ

それに対して、主食の一角をなす麺は、一口に「麺」といっても、ラーメン、そば、うどん、パスタ……と、その種類は非常に豊富です。それぞれの麺を主題にした本には名著が多いですね。例えば、さくらももこさんのエッセイ『焼きそばうえだ』は、仕事に悩む会社員の植田さんが、さくらさんのふとした一言から会社を辞めて、パリで焼きそば屋を開いてしまう嘘みたいな本当の話。その唐突さがあまりに滑稽で、それで一冊書いてしまう無茶な感じも、焼きそばがまとうロマンゆえかもしれません。

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一方、『ノブうどん帖』の著者・一井伸行さんは、文房具メーカーに務めるかたわら、うどん打ちと出汁をとるワークショップを各地で開催している方です。焼きそばの植田さんと違って、一井さんは会社員を辞めないところが面白い。彼がうどんを「商い」ではなく、人と出会う「媒介」と捉えているところに、うどんが持つ親しみやすい魅力が潜んでいる気がします。

お腹をすかせる文章の名手・平松洋子さんの『「そばですよ」 立ちそばの世界 』も名著です。ズズッとすすってサッと立ち去る「立ちそば」の魅力を、東京にある26軒を訪ねて紹介しています。立ちそば屋の店主とお客さんはほとんど会話を交わさないのだけど、それぞれのお店に独自の味があって、その仕事ぶりをお客さんも尊び理解し合っている。それは日本の美意識に通じるものだと平松さんは書いています。読んでいると、とにかく立ちそばを食べに行きたくなりますね。

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今こそ大切にしたい、
自分のためのごはん

お腹を満たすことって、ほかの誰でもない自分のための営みだと思うんです。もちろん、誰かと一緒に食べるごはんもいいですが、自分のお腹を満たせるごはんをもっと大事にしてほしい。例えばデパートでの食事はかしこまって出かけるイメージかもしれませんが、ざる蕎麦を一枚ひっかけるとか、一人でふらっとうどんだけ食べて帰るとか、そういう楽しみ方もあっていい。ズルズルすすったり、ガツガツかきこんだりするときって、どう見せたいとか、どう見られたいとかじゃなくて、あくまで自分のために食事している感じがしますよね。

何かとバツがつきやすい世の中ですが、お腹が満たされると「まあ、いいか」と、自分にも他人にも寛容になれます。炭水化物、抜いてる場合じゃないですよ(笑)。ぜひGRAND PATIOのライブラリーで、あなたの食欲を刺激する一冊を探してみてください。

Book Selection

幅 允孝
Yoshitaka Haba


人と本の距離を縮めるため、公共図書館や病院、学校、ホテル、オフィスなど様々な場所でライブラリーの制作をしている。安藤忠雄氏の建築による「こども本の森 中之島」ではクリエイティブ・ディレクションを担当。最近の仕事として「早稲田大学 国際文学館(村上春樹ライブラリー)」での選書・配架、札幌市図書・情報館の立ち上げや、ロンドン・サンパウロ・ロサンゼルスのJAPAN HOUSEなど。早稲田大学文化構想学部非常勤講師。神奈川県教育委員会顧問。
Instagram: @yoshitaka_haba

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