上品會の由来
本来、上品(じょうぼん)の品は単なる物を意味する以外に、官の等級区別あるいは種類の上下を定める意味で、古くは親王に賜る御位一品、二品とし、書経にも『問二九徳品例一』とあり、王義之の蘭亭叙文に『仰観二宇宙之大一俯察二品類之盛一』いう名文がある等、その意味するところ色々なものがあります。品に上を付した上品とは諸の階級をはっきりと区別し、等級を確立しその上にあるものだけをいいます。また多くのものを集め優劣高下の別を定めることを品定め、あるいは品評といいますが、織・染・繍・絞・絣における第一人者が心魂を傾けて制作にした作品を一堂に集め、薫り高い展観となることを願い『上品會(じょうぼん)』と銘じて発表しています。
〈歴 史〉
上品會の歴史は、1936(昭和11)年に千總-友禅-、矢代仁-織-、龍村-帯-の染織三名家の協力を得て開催された「染織上品會」に始まります。その後、1937(同12)年に大羊居が特別出品をしますが、1942(同17)年には戦争の激化により一時休会。1953(同28)年に再開した際には、「秋場、川島、千切屋、大彦、ちた和、林、山本」が加わり、名匠十一家に。1957(同32)年に岩田が加わり名匠十二家となりました。その後、上品會は変遷を経て、現在の同人である名匠八名家「秋場、岩田、川島、大羊居、龍村、千切屋、千總、矢代仁」となり、高島屋とともに日本染織の最高峰を志し切磋琢磨しております。
〈上品會の素旨と鑑審査〉
日本開国以来茫々二千有余歲の間 祖先が孜々として積み上げて来た
織染繡纈絣の芸術は『東洋の珠玉』 として 現下世界文化人の瞠目する所であります
波瀾渦巻く近年 高尚なるこの文化の花樹は暴風に戦き
激湍の試練に耐えて雌伏数歲 今日に至り漸く 老鍊の翁は梭を握り 帰還の名匠は新彩を試み 我国経済の據つて立つ繊維業の根源たる 絹の美術 織染の正芸に 上品の人間美を開花せむと 相集り 相切磋して参りました茲に自ら『古を飜へして 新しきを為す』會風を形づくり こひ願くば上善純真
完美の妙境を顕現して 世界に対し日本文芸復興の光を煥発せしめむと所期するものであります
併し乍ら貴重なる絹を用ひるには厳粛なる精神を要する点に深省して いやしくも人目を眩惑せしめ 優劣上下の識別を紛らかし 一時の効果を求むるが如き作風商法をとらず 先づ上善に礎を置き 自ら正美を致さむがために
素旨は
- 志高く千歳の誠を貫かむとする織染繍絞絣の名家をすぐり 厳しく相警しめて上作に力むと共に
- 粛然たる鑑審査を加へて品定めを厳にし 下品を切り捨て 上品の名を辱しめざらむことを期するものであります
鑑査は
- 一時的趣味を排し 永久性を重んじ 徒らなる奢侈浪費を免かれたるもの
- 趣味の善悪を明らかにして 挑発的趣味 悪趣味を刈棄て 善良高尚なる日本文化精神に立つもの
- 歪むだ新しさ、汚される古さを去って技芸の真面目なる精神に立ち創造をとげたるもの
※原文ママ











