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上品會同人の紹介

秋 場[あきば]

秋 場[あきば]

1891(明治24)年、初代秋場三松氏が豊田紬を考案、茨城県で生産を開始し創業する。のちに、日本各地の伝承織物も取り扱う。緻密な手仕事から生まれる紬を中心に、伝統技術を継承するとともに新しい絣柄も研究。近年の上品會では、本場結城紬や大島紬の優れた作品を世に送り出している。

岩 田[いわた]

岩 田[いわた] 岩 田[いわた]

1921(大正10)年、初代岩田藤治郎氏が西陣にて帯地の卸商として創業。帯一筋に独創的な商品制作をすすめ、絢爛豪華な逸品、格調高い唐織袋帯から刺しゅうや染を併用した帯、新感覚のおしゃれ帯など、優れたデザインと技術による作品を世に送り出しており、「帯の岩田」としての名声は高い。

川 島[かわしま]

川 島[かわしま]

1843(天保14)年、初代川島甚兵衛が創業。
明治期に欧州視察を行った二代川島甚兵衛は、世界に負けない織物の制作を目指し万国博覧会へも出品、川島の名を大いに高めた。現在も格調高い帯地を中心に、美術工芸織物や祭礼織物まで幅広く織物を製造している。京都市北部にある本社でデザインを考案し、生産するメーカーであり、特に織物の地風や柄表現の工夫に優れている。

大羊居[たいようきょ]

大羊居[たいようきょ]

江戸(東京)染繍の名門である大彦の創業者野口彦兵衛の長男、野口功造氏が1926(大正15)年に独立して工房を構え、大羊居を名乗ったのに始まる。その作風は古典を知ってとらわれず、新しさを求めておぼれず、大胆にして雄大な意匠構成と独特の色彩感覚によって、まさに華麗ともいえる染繍美を創造。現在は伊東から東京へ工房を移し、伝統を受け継ぐ作品制作を続けている。

龍 村[たつむら]

龍 村[たつむら]

1894(明治27)年創業。初代龍村平藏氏は古代裂・正倉院宝物裂などの研究、復元に稀有な才能を発揮し、その業績は数多く残されている。また上品會は、この初代平藏の呼びかけにより発会したとされ、翁の手による格調高い「上品會素旨」は、現在も受け継がれ上品會の礎となっている。1927(昭和2)年に初代平藏によって高島屋で発表され、今日も織り継がれる「龍村錦帯(たつむらきんたい)」、装飾や衣装に用いられる美術織物、古代裂の復元、また劇場を彩る緞帳の製造など、幅広く美術織物を世に送り出しています。

千切屋[ちきりや]

千切屋[ちきりや]

店祖長野與兵衛が、小袖・被衣を商った、総本家滕家(ちきりや)から別家を許されたのが1725(享保10)年。滕(ちきり)とは織機の一部で整経されたタテ糸を巻き取る機の芯棒の名称。本家から続いたこの屋号を明治に「千切屋」とした。染・織・帯を多彩に取り扱うとともに、作家の発掘、育成にも力を入れ、意欲作を継続して上品會に発表している。

千 總[ちそう]

千 總[ちそう]

1555(弘治元)年、初代千切屋与三右衛門が京都三条烏丸に法衣商を営んだことに始まる。1672(寛文12)年、四代千切屋惣左衛門が法衣と金襴巻物を扱った。明治時代に入り、商いの主を友禅染めとし、下絵を日本画家に依頼することで、従来のきもののデザインを一新。あわせて染の技術の開発と向上に取り組み、「京友禅の千總」となる礎を築いた。伝統とは守ることではなく創ることだとする代々の経営思想のもと、「美ひとすじ」に京友禅の秀作を世に送り続けている。

矢代仁[やしろに]

矢代仁[やしろに]

1720(享保5)年発祥の老舗。江戸時代より、西陣織着尺や白亀綾縮緬(宮中や将軍の絹肌着)を扱ったとされる。1902(明治35)年、西陣に織物工場を建設、当時人気が高かった西陣の先染織物である「御召(おめし)」を数多く製織。「美さを御召」として商標を登録し、その名を一層高めた。上品會発会時は「織の矢代仁」であったが、現在は染のきものを多く制作、メーカー問屋として確固たる技を継承している。

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