キュレーター高須咲恵さんが厳選したアートも
GRAND PATIOの魅力。
展示アーティストへの
インタビューをお届けします。
(会期:2020/12/26~2021/4/6)
-アーティストとしての原体験や、美的なものに関心を持ったきっかけは何でしたか?
箕浦 原体験として思い出すのは、小さい頃に感じたさまざまな触覚です。桜の樹を抱きしめたら、裏側に止まっていたセミを捕まえたことがあって、そのときの痛みを伴う触感や手触りをよく覚えています。あと実家は浅草の喫茶店だったのですが、小学校に入った時期くらいからマンガが増え始め、少年誌から青年誌までいろんなマンガが揃っていました。次々と新しく入ってくる作品を何度も読み直したりして、同じものでも何周目かでは印象が変わるとか、そういうのを楽しんでました。
-小さい頃に感じた、身近な世界が現在の表現の礎になっている、と。
箕浦 学校のプールの帰り道とか、自分で考えた遊びとか、身の回りに起きることなど、「カルチャー以前」の土着的な文化から受け取ったものが大きいと思います。私は小学6年生くらいからヒップホップなどの音楽に興味を持って、自分で情報収集するようになったのですが、そうした情報を通した体験と、それ以前の原初的な経験では、得るものが違うのではと思っています。
-高校時代からはバンド活動も活発に行っていたそうですね。現在も音楽作品を発表されていますが、絵を自分の仕事にしようと思った経緯について聞かせてください。
箕浦 ライブ活動をするなかで、同世代の友達に出会い、そうしたなかに、いまでも付き合いのある銀杏BOYZの峯田(和伸)さんや、カクバリズムの角張(渉)さんがいたんです。その友達に自分が描いた絵を見せていくなかで、ステッカーやジャケットのデザインを頼まれるようになりました。しかし、その日暮らしだった生活に疲れてきてしまって、20代半ばでは腰を据えて絵をかいていこうと思っていました。そのときに頼まれたのが、銀杏BOYZが二枚同時リリースしたファーストアルバムの一つ、『DOOR』(2005年)のジャケットです。そこに今までの自分の感覚をすべて注ぎ込んだことで、一区切りがつきました。
-その後、アーティスト活動をするなかので転換点はいつでしたか?
箕浦 2010年頃までの、A4のコピー用紙にマッキー1本で絵を描き続けることを、家一日中でひたすらやっていた時期ですね。フォーマットが決まるとそのなかで遊べるし、しっくりくる表現が見出しやすくなり、表現も豊かになっていきました。また、ちょうどその時期、写真家の川島(小鳥)さんと展示を開いて、WEBや雑誌などで自然と絵を外の人に見せていく事になっていきました。
-その後、絵との向き合い方はどのように変わりましたか?
箕浦 毎日描いていると、一本線を引くだけでも、「次の一手」が出てくる。それをしっくりくるまでやるだけですね。テーマを事前に決めずに描いています。もともとそういう気質なのか、依頼仕事の時にも新たに作品を作るのではなく、描いたものから選んでもらっています。
-近年のアートの場合、先にコンセプトを立てて、あとから手を動かすアーティストも多いと思いますが、箕浦さんはその真逆で、先に手を動かしていくのですね。
箕浦 そうですね、いろいろやり方はあると思うのですが、私の場合先に何かが決まっていると手が止まってしまいます。近年のアートのルールみたいなのも面白いのですが、ルールから溢れてしまうものも大事にしていきたい。長く描き続けていると、そこに通底する関心事も見えてきて、私の場合それは「生き物」だと思っています。「いき」には、「息」「生」「勢」「粋」などの意味が重なっていますが、それらの意味も含め、自分のやってきたことは「いき」という言葉でまとめられるのではないかと思っています。
-箕浦さんが毎日のように制作を続けてこられた原動力は何だと思いますか?
箕浦 絵を描くことは睡眠や食事と同じで、生活の一部です。絵を描くとき、一般的な絵画的なよさを目指すやり方もあれば、絵をひとつの生き物として成立させるやり方もあると思います。私の場合は、絵画的には破綻していても、絵が新しい命としてその場に「いる」状態をいかに作るのかに関心があるんです。そこでは間違うことすらも面白いのですが、大抵は大人になるにつれ、大義名分や理由がないと作れなくなる。そういったことに対しては、思うことがあります。
-今後、アーティストとして考えていきたいこと、やりたいことはありますか?
箕浦 人に対しての何かというより、自分がなぜ絵を描いているのかを、突き詰めていきたい。そして何より自分が驚きたいですね。その驚きの数を増やしていけば、そこに普遍性が埋め込まれている可能性がある。自分が住み続けている小金井には「スタジオジブリ」のスタジオがあるのですが、『千と千尋の神隠し』に出てくる八百万の神様たちみたいなおかしなキャラクターとか、地域に伝わるお面などに共通して見られる人間の想像力は面白いと思います。大真面目に作られたものなのに、どこか笑えてしまう。そうした土地の力を感じて、制作していきたいです。あとは、人間のものづくりを数百年の単位ではなく、紀元前よりもっと前まで普通に遡って捉えることに興味があるので、そうした歴史についても考えていきたいです。
-今回の二子玉川の展示に当たっては、どんなことを考えましたか?
箕浦 二子玉川には多摩川が流れています。東京って川が多い土地で、それがいろんな場所と場所をつないでいる。たとえば、二子玉川は「多摩川」と「野川」という二つの川の合流地点ですが、野川の源流を辿ると、私の住む小金井の方までつながっています。また、二子玉川の近くには、岡本太郎が作った、彼の母親である岡本かの子の文学碑があります。太郎自身やパートナーの敏子、母のかの子、父親の一平のお墓はというと、野川がその近くを通る多摩霊園にある。太郎は、おそらくわざと川でつながる場所に家族の記念となるものを作ったのかなと思います。それが今回の展示に直接つながるかわかりませんが、そんなことを考えながら制作しています。
-土地と人とのつながりが、川を通して見えてくる、と。
箕浦 あらゆるものが、曖昧なかたちでつながっているということ。それは、コンセプトとして打ち出さなくても、作品に自然と現れるものだと思います。そうした予想外のつながりを見出せると面白いですし、自分でも楽しみにしています。
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箕浦建太郎
みのうら・けんたろう / 1978年生まれ。画家。
1978年静岡県に生まれ、幼少期から浅草で育った箕浦は今日まで東京を拠点とし、画業の傍これまで銀杏BOYZのCDジャケットのデザインや写真家川島小鳥氏との共著『明星』、『トリコ』(東京ニュース通信社)『Hello,Good』、『TOURS』など、幅広い活動で知られてきました。
幼い頃より途切れることなく絵をかき続け、その過程で多様性を受け入れ流してきた結果、箕浦が現在描くものは自身の経験の蓄積が精査され削ぎ落とされても捨てるに捨てられない要素が擬態化し、生物的な何かとしてキャンバス上に現れています。それは今日の作家の多くもそうであるように、キャラクターや漫画、ゲームをはじめ、映画や音楽、ストリートカルチャーなど境界線を特に意識することなく幅広いカルチャーに触れて育った箕浦自身を反映した肖像とも言えます。
古典技法からスプレーなどの現代的な身近な画材を使用し続けることにより育まれてきた多彩な色の積層や鋭利で曖昧な表情は、肉眼で絵画を見ることを改めて私たちに問いているようです。
特定不能な画面上の空間に放置されている存在たちは、過去の蓄積や忘れ去られたカルチャーを示しているかのように、または社会システムの中で埋もれもがいて消えかけている人々かのように、発見される未来を待ち望む哀愁に満ちた表情を我々に投げかけるのです。