重要文化財ツアー Vol.3象の面影を残す百貨店建築

百貨店建築として初の重要文化財である、日本橋高島屋S.C.本館。毎月1回「日本橋高島屋 重要文化財見学ツアー」を開催しています。ツアーの中身から、今回は高島屋の屋上にいた「象の高子ちゃん」のエピソードなどをご紹介いたしましょう。ご案内するのは日本橋高島屋S.C.本館のコンシェルジュ、岸和彦です。日本橋高島屋S.C.本館のコンシェルジュとして、店頭でのご案内をはじめ、お客様一人ひとりのご要望やお悩みにお応えした「おもてなし」を提供しております。

日本橋高島屋S.C.本館の前に立つコンシェルジュ・岸和彦の写真

日本橋高島屋の屋上で飼っていた「象の高子ちゃん」 


ツアーをご案内していて、毎回お客様が大変喜んでくださるのが「象の高子ちゃん」のエピソードです。日本橋高島屋は昭和25年(1950)から29年(1954)までの4年間、屋上で象を飼育しており、高島屋は「象のいる百貨店」として親しまれていました。名前は「高子」。戦後間もない頃、人々を楽しませる話題を提供するため、タイ国からやって来た高子はお手やおすわりなどの芸を覚え、お客様を背中に乗せて噴水の周りを歩くなど、屋上の人気者でした。

しかし、毎日30kg以上の餌を食べて次第に成長し、大きくなった高子を屋上で飼い続けることは危険だということで、上野動物園に寄贈されることになりました。やって来た時は約560kgの子象をクレーンで吊るして屋上まで持ちあげたのですが、4年間で約1.8tと、もうクレーンでは無理な重さとなり、高子はなんと屋上から、中央階段を一段ずつ歩いて地上に降りたのだそうです。

日本橋高島屋S.C.本館屋上で飼育されていた象の高子。

日本橋高島屋S.C.本館屋上で飼育されていた象の高子。

象の高子の面影が残る屋上のモニュメント 


日本橋高島屋S.C.本館の屋上の新館側に、塔屋があります。これをじっと見ていると、何かに見えて来ませんか。高子が屋上を去った昭和29年(1954)、建築家の村野藤吾が増築を行う時に、屋上に高子の面影をいつまでも残したいと、象の形をしたモニュメントにデザインしたと言われています。

平成30年(2018)9月に日本橋高島屋S.C.新館がオープンした時、本館屋上にある高子のモニュメントを優しく包み込むように、新館側からアーチ型のガラス大屋根を設置しました。重要文化財である本館には一切の荷重をかけずに、新館側から高子のモニュメントを守るような作りにしたことに対し、文化庁の文化財鑑査官の方から「涙が出るほど感動した」というお言葉をいただきました。

お客様の中には、この塔屋の話を聞いて「象はどこにいるの」と屋上にやって来るほど、今も日本橋高島屋S.C.本館に思い出を残している「象の高子ちゃん」。ご来店の際は、屋上でぜひ高子の面影を感じてください。

日本橋高島屋S.C.本館屋上のモニュメント。

建物の正面でバルコニーを支える「蟇股の装飾」


日本橋高島屋S.C.本館の建築には、象の他に、カエルのような装飾も見つけることができます。建物を正面からご覧いただくと、バルコニーを支えるように、カエルが股を開いたような形をした装飾がいくつもあることにお気づきですか。これは「蟇股(かえるまた)」といって、伝統的な和風装飾の一つです。

こういった和の意匠は、「日本橋」など格式の高い橋の欄干に見られる「擬宝珠(ぎぼし)」のような装飾や、吹き抜けにある柱の上で天井を支える「肘木(ひじき)」など、随所に見られ、和洋折衷の美を表現しています。

日本橋高島屋の建築にあたって「東洋趣味を基調とする現代建築」という様式を求めた設計図案競技で、1等になった建築家・高橋貞太郎。そして高橋の意匠を継承しつつ、近代建築の手法を巧みに取り入れて増築を行った建築家・村野藤吾。2人が目指した建築が、一体不可分なものとして調和していることが重要文化財の指定理由となり、今もこうしてたくさんのお客様をお迎えしていることは、本当に素晴らしいことですね。

日本橋高島屋S.C.本館正面玄関にある「蟇股の装飾」


3回にわたって「日本橋高島屋 重要文化財見学ツアー」をお届けしてまいりましたが、いかがでしたか? まだまだ、お話したいことがたくさんありますが、この続きはぜひご来店の際に、建物が語りかけてくれる歴史を感じていただけると大変うれしいです。日本橋高島屋S.C.へのご来店を、心からお待ちしております。

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