- 文化元年創業。高松藩に製糖を願い出て以来、
伝統的な手法で和三盆糖を作り続ける老舗。
- 砂糖といえば薩摩の黒糖しかなかった江戸時代。国産の白砂糖である和三盆が生まれたのは、八代将軍吉宗が糖業を奨励したことにより、ときの高松藩主、松平頼恭が平賀源内に砂糖作りを研究させたことに始まります。
現在、讃岐和三盆と呼ばれている白糖の製造に成功したのは、藩命で製糖法を研究していた高松藩医・池田玄丈を師とした向山周慶。周慶の教えを受け、1804(文化元)年に創業したのが三谷製糖「羽根さぬき本舗」です。さとうきびの作付と製糖法を周慶に学ぶ由を藩に願い出た文書がいまも三谷家に残っています。伝統的な製法で讃岐和三盆糖を作り続けて200年余。和三盆そのものが和菓子であると同時に、和菓子の材料としても貴重とされ、老舗和菓子店による「和三盆糖保存会」も結成されています。
- 根気のいる作業から、
讃岐古来の和三盆が生まれます。
- さとうきびの搾汁液から灰汁を取ることに始まり、
「押し船」と呼ばれる昔ながらの圧搾道具で分蜜作業へ。さらに熟練した職人による「研ぎ」の工程を経て、和三盆ならではの上品な風味に仕上がります。
- 江戸時代の和三盆作り
(讃岐国和三盆製造之図 広重図)
- 高松藩の5代藩主・松平頼恭が製糖を奨励したことに始まり、東讃地方の花形産業として栄えた和三盆作り。和三盆といえば讃岐国。職人たちが大勢で製糖する往時の様子は、広重の浮世絵にも描かれています。
- 「昔ながらの手作りにこだわりたい」。
8代目店主・三谷昌司氏。
- 「あっさりとした独特の風味は、丁寧な手仕事だからこそ出せる和三盆の特長です」と語る現当主・三谷昌司さん。敷地内にはいまも江戸時代の道具が保存され、手仕事の歴史を伝えています。
※ご紹介は味百選の一例です。今後ラインナップを追加してまいります。
※催しの出店店舗・内容は各店毎に異なります。
※羽根さぬき本舗の出店予定は各店ホームページをご覧ください。
※各店食料品フロアでのお取り扱いは各店毎に異なります。詳しくは各店までお問い合わせください。