Lalique(ラリック)

Lalique(ラリック)

世界的な名声を得た芸術家たちの3代にわたる歴史 ルネ・ラリック(1860-1945)は、アール・ヌーボーの旗手として宝飾デザインを革新し、美術館やコレクターたちがその優美な作品に魅了されました。1987年に創設されたアトリエが、ラリックの伝統を現在に引き継いでいます。

世界的な名声を得た芸術家たちの3代にわたる歴史

ラリック、それはひとつの名前であるにとどまりません。それはひとつのファミリー、ひとつの才能、そして世界的な名声を得た芸術家たちの3代にわたる歴史をも意味するのです。 はじめにルネ・ラリック(1860-1945)がいました。彼はアール・ヌーボーの名高いジュエリーを制作して宝飾デザインを革新し、当時から美術館やコレクターたちがルネの優美な作品を競って手に入れようとしました。
多彩な才能に恵まれたルネ・ラリックはアール・デコにおいては天才ガラス工芸家であり、美しい香水瓶を量産に導くことにより、ひとつひとつの香水を特別にデザインされたボトルに詰めて売り出すという今日でこそ当たり前になっていることを世界で初めて実現し、香水の世界に技術的・商業的革新をもたらしました。

1925年のパリ・アールデコ博覧会では、作家コレットが「奇蹟の噴水」と呼んだ巨大なガラスの噴水を制作したのもルネ・ラリックでした。そのほか彼が残した重要な作品には、ワゴン・リ・インターナショナル社の依頼を受けて行ったオリエント急行をはじめとする客車の内装、太平洋横断客船「ノルマンディー」号ファースト・クラスのダイニング・ルーム内装、東京の朝香宮鳩彦両殿下の邸宅(現・東京都庭園美術館)の正面玄関を飾る翼のある女神像のガラス・レリーフなどがあり、また1920年代に名車のかずかずを大胆に飾ったルネ・ラリックのガラスのカーマスコットは、今日コレクターたちが高額で競り合うところとなっています。
彼の想像力は、膨大かつ多様な作品群を生み出しました。クープ(鉢)、花器、彫像、香水瓶などがパリ近郊コンブ・ラ・ヴィルのアトリエで、そして1922年に開設されたアルザス地方ヴィンゲン・シュール・モデールの工場でますます活発に制作されました。

ガラスという素材の扱いにおいては、彼のスタイルの基本的特徴はクリアとフロステッド(艶消し)がおりなす名高い対比というかたちで現われました。それに加えて、表面に彩色するパチネ装飾、エナメル(七宝)装飾、溶けた状態のガラスへの彩色などの技法が使われることもありました。作品のシルエットはジオメトリック(幾何学)的である場合もありましたが、植物、動物、女性像などが非常に自然に近い姿で表わされたレリーフによって、柔らかな表現になっているのが常でした。
2代目となったのはルネ・ラリックの息子マルク(1900-1977)で、1945年に父の後を継いでクリスタルの時代を築きました。たぐいまれな技術者であったマルクは仕事への愛情に取りつかれ、第二次大戦で荒廃したヴィンゲン・シュール・モデールの工場を再建し、ガラスをクリスタルという素材に置き換えてその名を世界に知らしめ、ラリックの歴史に新たな時代を開きました。ラリックの独特のスタイルに忠実でありながらも、1950年代の工芸作家の一人として創作を行ったマルクの作品群は、今日熱い視線で再発見されている50年代という時代のデザイン潮流をよく反映しています。
3代目であるマリークロード・ラリックは1977年の父マルクの死後、その後を継いで1996年に至るまでラリック社のアーティストの役割を果たしました。
1994年に、30年以上にわたってラリック社の株を保有してきたポシェ・グループが、同社の筆頭株主となりました。ポシェ・グループの総帥ガブリエル・コロナ・ド・ジョヴェリーナ氏はラリック家の友人でもあり、ラリック・グループの発展を促すため支援を行っています。
現ラリック・グループ社長ジェラール・タヴナによって1987年に創設されたクリエーションのアトリエが、ラリックの伝統を現在に引き継いでいます。

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