TAKASHIMAYA GROUP THE SPIRIT VOL.01
2024.04.10UP

創業の地、京都で構想から10年。
まちの活性化を使命に奔走した
京都高島屋S.C.のまちづくりプロジェクト。

MOVIE

2023年10月、高島屋は京都店を増床して
アートやカルチャーを発信する専門店エリア「T8」を備えた
「京都高島屋S.C.」として新たなスタートを切りました。
今回は、開業までの道のりを振り返りながら
さまざまな分野のキーマン達に、
その舞台裏やまちづくりへの思いを聞きました。

京都は、高島屋創業の地。
1831年に烏丸松原で古着木綿商として開業。
1946年、現在の四条河原町にマーケットセンターを開店。
時代の変化に合わせて業態を変え、
1950年に百貨店として営業を始めました。
京都高島屋S.C.の構想が動き出したのは、
四条河原町で土地の取得に動き出した2013年。

地域に多くのパイプを持ち、
京都高島屋の店長などを歴任してきた
高島屋 顧問 米田庄太郎は、
当時から開業までをこう語ります。

構想10年。皆様のお力と
良い縁のおかげでチャレンジできた。

土地の取得、そして行政や地域、協力企業との関係をつくるのが大変で、開業に約10年かかりました。
環境面では、長い間困難とされてきた、四条通りの地下の壁を抜き、通路や店舗をつくることができたのも大きな成果。何度も調査を重ね、関係各署と粘り強く交渉した結果、何とか実現にこぎつけることができました。T8(専門店)ができたことで、地上だけでなく地下も賑わい、まち自体が大きく成長していく一歩になったと感じますし、そうなればと願ってチャレンジしました。行政や関係各所の皆様のご協力のおかげです。

「京都高島屋S.C.」は、
京都のまちの
アイデンティティを
繋いでいく店でなければならない。

京都は職人のまち。昔から最高級のものをつくっていました。古都の印象から、日本古来の伝統的なものを想像されることが多いイメージですが、まちを受け継いできた人々は、実は革新的であったり、最高のグレードのものこそが京都らしさだと考える人が多いのです。
東京にある日本橋高島屋S.C.が「見ていただく場所」なら、創業の地にある京都高島屋S.C.は「歴史や文化を感じていただく場所」。とはいえ、京都は老舗が多く、高島屋はまだ創業193年の新参者。けれど、たくさんの人が集まる四条河原町にある以上は、京都のまちのアイデンティティを繋いでいく店でなければならない。地域の皆様に受け入れていただいてこその店づくりであり、まちづくりだと考えています。

私たちは、まちを良くすることが使命。

百貨店部分は「売る」場所、専門店部分(T8)は「集客」をメインに、楽しんでいただけることを第一に考えてつくりました。「Nintendo KYOTO」はご縁があって入ってくださり、国内外たくさんのお客様に好評で非常に良かった。T8の新しい魅力で訪れたお客様に、百貨店にも来ていただくような役割分担です。
開業後は、海外からのお客様、若いファミリーのお客様が圧倒的に増え、ご近所の方々から「まちにたくさんの人が来てくれるようになった」と喜んでいただけました。
私たちは、まちを良くするということが使命だと思うので、ご来店のお客様だけでなく、まちの皆様に喜んでいただけたことが本当に良かったと思っています。

まずは夢を語ること。
「人」が集まり、大きな力になる。

結局は「人」です。京都高島屋S.C.が今の形で開業できたのも、良い方々に出会えたおかげ。私が今回の構想を話した時に、目を輝かせて聞いて、快くご協力くださいました。そして、完成したら喜んでいただけた。まずは夢を語って共有して、賛同してくださる方々が集まれば大きな力になる。それが、今回の鍵であり、原動力だと思います。

T8(専門店)の店づくりや運営について、
東神開発 営業本部 西日本事業部 京都グループ
吉田光孝に話を聞きました。

館のコンセプトは
「京都で一番の待ち合わせ場所」
「出“あう場所”、出“あい”に行く場所」。

まちの新しいシンボルとして、たくさんの人やコト・モノに出会う場所を提供したいという思いがありました。近年、百貨店には行きづらいというお声もありましたので、気軽に立ち寄れる店をつくりたくて、このコンセプトが生まれました。

百貨店を営業しながら
T8を建てる大規模な工事に。

京都高島屋S.C.は、京都高島屋(百貨店)とT8(専門店)が一体となって運営するシームレスな構造を目指していました。T8の建設は、百貨店を営業したまま横に新館を建て、壁を潰して繋げるという大幅な工事に。ご来店中のお客様にご迷惑がかからないよう注意しつつ、近隣の皆様への騒音などにも配慮して少しずつ工事したので、工期などの調整が難しかったですね。

百貨店とT8の間に
“ノイズ”をつくりたかった。

これまで京都高島屋のお客様層は60代以上が多く、30代のお客様は減少傾向、次世代のお客様に来ていただくことが課題でした。今回、T8(専門店)をつくるに当たり、百貨店の延長ではなく、百貨店とT8の間に、気になってしまうようなポジティブな意味での違和感“ノイズ”をつくって館全体を楽しんでいただきたいと考え、テナントを選びました。
例えば、京都初出店となった「まんだらけ京都店」は、中古玩具などが並び、百貨店では取り扱いのなかった商品を提供することができています。玩具を見ながら楽しそうに会話されるご家族を見ると、世代を超えた会話のきっかけを創出することができているのではないかと感じています。

まちに恩返しをして、
まちと共に成長していきたい。

四条河原町のアンカーとなるこの場所では、東神開発だけでも高島屋だけでも、何か足りなかったと思います。今回2社が組んだからこそできたことが大きい。その最初の一歩に携わることができたことは光栄ですし、開発の時の精神を後進に繋げていきたいですね。
2031年に高島屋は創業200周年を迎えます。京都は創業の地でもあり、このまちに育てていただきましたので、しっかりとまちに恩返しをしていきたい。まちのアンカーである責任を持ちながら初心を忘れず、まちと共に成長していきたいと考えています。

T8オープンを機に、京都高島屋でも
品揃え改革やPOP UP強化など、
様々な取り組みが行われました。
その狙いを、京都高島屋 企画宣伝部 山田浩史が語ります。

若手社員プロジェクトの実現は
今後の彼らの原動力になるはず。

百貨店部分は、大きな改装は行わないものの、品揃えの見直しや、週替りで商品イベントを行うPOP UPステージを約2倍に拡充。いつ来ても新鮮で楽しいと感じられるよう、新たなブランドや試みのトライアンドエラーを続けることが、館全体の魅力に繋がると考えました。
さらに、次世代顧客の獲得に向けて、感覚の近い若手社員の力が不可欠だと考え、若手プロジェクトを発足。4年目までの29名が参画しました。入社から日は浅いものの、高島屋を何か変えたいという思いを持っていて、30案ほどが寄せられた中、いくつかのアイデアが実現できました。
なかでも、Daichi Yamamoto氏とコラボレートで開業テーマソング「Sol」をリリースできたことは、今後の彼らの原動力になると思います。若手メンバーの考える“これからの高島屋”、京都出身のDaichi氏の高島屋との思い出、高島屋の歴史など、みんなでブレインストーミングして、Daichi氏が歌詞に起こしてくださり、「Sol」が生み出されました。
高島屋のファンをもっと増やすために、プロジェクトは継続していきたいですし、若手が自分の友人や家族にすすめたくなるような企画に繋げていきたいと思います。

「つくって終わりではなく、続けることが大事」
「店は生き物」と、米田は言います。
京都高島屋S.C.の挑戦はこれからも続きます。